「黄金の棺(66)」

I CRUDELI(伊)「無残」、 HELLBENDERS (英) 「不死のトカゲたち」劇場未公開、DVD/TV公開題名「黄金の棺」

カテゴリー(Julian Mateos)

監督セルジオ・コルブッチ、脚本ウゴ・リベラトーレ、アルバート・バンド、撮影エンツォ・バルボーニ 、音楽エンニオ・モリコーネ、出演ジョセフ・コットン、ノーマ・ベンゲル、ジュリアン・マティオス、アンヘル・アランダ、アル・ムロック、アルド・サムブレル、ジーノ・ベルニーチェ、マリア・マルティン、

日本の劇場未公開作品である。しかし、内容の素晴らしさから、TV公開されたのち現在はDVD化もされている。コルブッチの表現する滅びの美学が最大に描かれた傑作だ。

「第三の男」のジョセフ・コットンは、「荒野の渡り者(65)」と同じく、古き南部の伝統を引きずる家長のがんこおやじという役柄を演じている。常に家族を考えの中心に置き、父親は絶対の権限をもつという南北戦争当時の南軍家族のシチエーションはマカロニウエスタンを生んだイタリアに古くから引き継がれる家長の制度と重なり合って興味深い。また、女賭博師ノーマ・ベンゲルのたくましい女性像、そして心優しき3男ベンを演じるジュリアン・マティオスの格好良さもこの映画の魅力を高めている。

ジョナス(ジョセフ・コットン)率いる一家は、北軍の部隊を襲い南軍復興のための軍資金としての大金を奪い取る。部隊の兵隊たちは皆殺しにし、さらに協力した手下たちも口封じのために殺してしまうという残忍さだった。しかし、この金をかかえたまま敵中を通り抜けて南部に帰り着かねばならない。一家が、金を運ぶ手段として選んだ方法は棺である。未亡人が夫の遺体を運ぶ葬送の馬車。これならば、追っ手の軍隊も棺の中まで調べるはずはない。南軍一家の読みでは金を奪いさえすればあとは楽な仕事となるはずだった、しかし、真の苦難はこの旅にあった。

最初の躓きは、未亡人を演じるために同行したジョナスの愛人ケイティ(マリア・マルティン)を長男ジェフ(ジーノ・ベルニーチェ)が殺してしまうことから始まった。なんとか代わりを探さねばならない。酒場の争いに巻き込まれた女賭博師クレア(ノーマ・べンゲル)を見つけて仲間に加え旅は続けられる。

山賊の襲撃を退け、軍隊の追跡を欺き、ついには正体を見破りそうになった盲目の老人を射殺して、一家は少しずつ南部のわが家へと歩みを進める。しかし、拉致されるかたちで未亡人役を演じていたクレアは棺を墓地へ埋葬することを出会わせた北軍に依頼してしまう。北軍は申し出を受諾する。このシ チュエーションのみが本作のマイナスポイント。ベンに心惹かれていたとはいえ、棺の埋葬を依頼するくらいなら自ら軍に保護を求めるのが当然なはずだ。

北軍の監視下で埋葬をすまされた金の棺は、雷鳴の夜、南軍一家の手によって掘り起こされ、再び地獄のような旅が始まる。川を越えればわが家へ帰り着く。そんな状況になったときに、インディアンの娘を長男が殺害したことが原因で長男ジェフと次男ナット(アンヘル・アランダ)にくすぶっていたうっぷんが一気に爆発する。互いに拳銃を抜く2人。思わず止めようと2人の間に割って入る末息子のベン(ジュリアン・マティオス)。その瞬間2人の拳銃は火を吐き3人の息子が同時に倒れ伏すのである。

猛々しく、強引に一家を引きずってきた家長は倒れた3人の息子の姿に呆然と 立ち尽くす。金のつまった棺をひきずり、たったひとり川を渡ろうとする老人。髪を振り乱し、泥にまみれながら鬼々迫る形相で歩むその姿は映画前半の頼りがいのある父親像と対比されるだけに益々強烈な印象を残す。精神に変調をきたし「家へ帰ろう、母さんの待つ家へ帰ろう。」とつぶやきながら棺桶を引きずっていた老人は泥に足をとられて転倒する。その瞬間、棺も横転し、中のものが外へ転がり落ちる。それは、金ではなかった。途中で縛り首にされた山賊の首領(アルド・サムブレル)の「地獄で会おうぜ」の言葉の意味が初めて明らかにされるこの衝撃のラストシーン。悲愴感をいやがうえにも高めるモリコーネのトランペットのテーマと重なる忘れることのできないラストシーンだ。