「新・荒野の用心棒(68)」

E INTORNO A LUI FU MORTE(伊)「奴の周囲には死があった」、IERRA BRAVA(英)「燃える大地」劇場公開作品

カテゴリー(William Bogart)

監督レオン・クリモフスキー、脚本オズワルド・フィエリ、撮影エミリオ・フォレスコット、音楽カルロ・サビーナ、主演ウイリアム・ポガート、シドニー・チャップリン、ウエイド・プレストン、アグネス・スパーク、エドワルド・ファハルド

スタッフは「無宿のプロガンマン(66)」と同じ。東和の配給というだけが「荒野の用心棒(64)」や「続・荒野の用心棒(66)」と同じで、その他の共通点はない。マカロニの歴史における価値としては前の2作品と比べようもないが、また違った意味で心に強く残るマカロニウエスタンである。イタリア人の気質からか、マカロニウエスタンには家族や親子の結び付きについては強くこだわる傾向がある。だからこそ、肉親の復讐をテーマとした作品が多くなるわけだが、日本の浪花節や歌舞伎にも通じる、この肉親の情愛をテーマとしたマカロニウエスタンは思いのほか多く見られるのである。「新・荒野の用心棒」は、まさに浪花節や歌舞伎をマカロニウエスタンにしたかのような、人情味あふれる佳作である。この作品が持つ魅力こそマカロニウエスタンが日本に受け入れられる大きな要素なのだ ろう。

主演はウイリアム・ポガート。「新・夕陽のガンマン(67)」ではジョン・フィリップ・ローからお尻を蹴りとばされ、「帰って来たガンマン(66)」ではトム・ハンターからダイナマイトで吹き飛ばされるなど、多くのマカロニウエスタンの手下役でよく顔を見かける大部屋俳優である。ところが、本作品で見せるその貫録・渋さはどうだ。俳優の魅力はその作品が引き出すものであることが本作を見てよくわかる。

開幕は、連邦保安官(ウエイド・プレストン)がお尋ね者マルティン・ロハス(ウイリアム・ポガート)を追って町にやって来るところから始まる。町に着くなり聞こえる銃声。酒場での撃ち合いから馬に飛び乗って駆け去る1人のメキシコ人。その男こそマルティン・ロハスであった。ここから、物語はロハスの過去を語りはじめる。メキシコで平和な生活を送っていたロハス達は、自分達の思いとは裏腹に度重なる白人の横暴に耐え兼ねて略奪に己の生きる糧を求めるしかなかった。ケマドスの町の銀行襲撃に成功したロハスだったが、帰って来た彼は息子の誕生と妻の死を同時に知らされた。放心状態のロハスは追いかけてきた保安官(シドニー・チャップリン)に難無く捕らえられてしまう。

10年後、我が子のことを安じて脱獄したロハスはそこで、保安官の子供として幸せに育てられている息子ホアン(ファブリツィオ)の姿を見た。百科事典のプレゼントに誕生日のケーキ、自分とはあまりに違う息子の生活を知り迷い苦しむロハ ス。「俺はあの子のことは何も知らない。しかし、なぜあの子が気になるんだ」「あんな息子なんぞいらない、おれはまた強くなった。」去勢をはるロハスのつぶやきが悲しい。脱獄をしたものの目的を失ってさまようロハスに1人の男が声をかけてきた。昔の悪党仲間のトレバー(エドワルド・ファハルド)だ。最初はうまく取り入っていたトレバーだったが、次第に本性を表して来た。トレバーのねらいはロハスが捕まる前に隠した大金の行方だ。拷問に掛けてもロハスが口を割らないと見るや、トレバーは手下を使ってホアンを誘拐してきた。息子を人質に取られてはさすがのロハスもトレバーに服従せざるを得ない。しかし、金の隠し場所にトレバーを案内するロハスはホアンの機転で脱出に成功する。

追いかけてくるトレバー一味をまくために灼熱の砂漠を横断する父と子。力尽きかけたときに、たまたま通りかかった老人に救われた2人は、老人の家でしばらく療養させてもらうことになった。トレバーがホアンを誘拐したことが逆にロハスにとって思いがけない結果をもたらしたのだ。絶対に会えるはずのない我が子と過ごす至福の日々。しかし、ホアンはロハスを実の父とは知らない。ホアンを保安官の元へ送り届けたロハスは金を餌にトレバー一味をおびき寄せる。襲いかかる手下たちを酒場で返り討ちにしたロハスは、トレバーとの決戦に臨む。ここで物語は時間的に開幕に重なっていく。有利な立場に立ちながら「親父は薄汚い山賊だと息子にばらしてやる。」と罵るトレバーに逆上したロハスは我を忘れて飛び出し、トレバーの弾丸を何発も浴びてしまう。しかし、ロハスは倒れない。執念を込めた弾丸がトレバーを倒したことを確かめて地に倒れ伏したロハスは、保安官とともに駆けつけてきた我が子ホアンの腕に抱かれながら静かに息を引き取っていくのである。

ガンプレイ、壮絶なアクションのみがマカロニウエスタンの魅力ではない。こうした、ジーンと心に染み込むような作品もマカロニウエスタンの中には存在するのだ。軟弱だと、マカロニファンからは評価しない声も多く上がっているが、大好きな一遍である。