「殺し屋がやって来た(66)」

L’UOMO DELLA PISTOLA D’ORO(伊)「黄金の拳銃を持つ男」、THE MAN WHO CAME TO KILL(英)「殺しに来た男」劇場公開作品、TV公開題名「さすらいの用心棒」

カテゴリー(Luis Davila)

監督アルフォンゾ・バルカザール、脚本アルフォンゾ・バルカザール、撮影マリオ・カプリオッティ、ステルビオ・マッシ、音楽フランチェスコ・ラバニーノ、出演カール・メイナー、ルイス・ダビラ、フェルナンド・サンチョ、グロリア・ミランド、ウンベルト・ロホ、ロリス・ルッディ

初期の作品だが、それだけにマカロニウエスタンの何たるかを模索している姿が見られて面白い。派手な銃撃戦、リンチなどの描き方に独自のものを出そうとしているものの、息子と2人で牧場を守る未亡人に主人公が心引かれていく展開などは米国製の西部劇のことをチラチラ横目でにらみながら作っているようで微笑ましく感じる。

物語の中心は賞金稼ぎとお尋ね者の友情が軸となって展開する。凄腕の賞金稼ぎスレード(ルイス・ダビラ)はカードゲームのトラブルから殺人を犯した賭博師ドク(カール・メイナー)を追っていた。ルイス・ダビラ演じるスレードは米国製B級西部劇のランドルフ・スコット演じる主人公を思わせる賞金稼ぎファッションで登場。その後のマカロニウエスタンではこのランドルフ・スコット型のガンマンは登場していないため、かえって多くのマカロニガンマンの中でダビラの凄みのある個性を引き立てているのが面白い。このあたりにも米国製の西部劇につかず、離れずという初期のマカロニウエスタンの特徴を見ることができる。

一方、賞金稼ぎスレードから追われるドクは元々腕のよい外科医であったが、酒で身を持ち崩し、賭博師となっていたのだ。スレードの追跡をかわす逃走の途中で彼はたまたま出くわした死体と自分の服を交換して死人になりすました。他人になりすまして到着した町で何と彼は大歓迎を受ける。ドクがなりすました男は町の住民を震え上がらせている野盗パブロ・ レイエス(フェルナンド・サンチョ)の一味を取り締まるために町に派遣された保安官ラリー・キチナーだった。そのことを知って、先手を打ったパブロの一味から殺されたのだ。成り行き上、仕方なく保安官キチナーとして町に居座るドクであった。やがて、スレードも町へやって来る。ドクの手配書がまだ完成していないために、スレードはドクの顔を知らない。保安官が怪しいとにらんだ彼は、正体をつきとめるため、自ら保安官助手を志願した。

追う者と追われる者が互いに不信感を抱きながら共通の敵と戦わなければならなくなる設定が物語としての面白さを増している。腹を探り合いながらも、幾度かの危機を協力して乗り切っていくうちに2人はそれぞれの立場を越えて凶悪な敵に立ち向かっていくようになるのだった。ついに怒りを爆発させたパブロは一味を総動員して町に乗り込んで来る。迎えうつのはドクとスレードただ2人。しかし、ダイナマイトを生かした戦法、スレードの大回転連続早撃ちに よって形成は逆転。ついにドクは1対1の決闘でパブロを倒すのである。ここの銃撃戦は撃ち合いに次ぐ撃ち合いで初期の作品の中でも屈指の出来栄え。“大回転連続早撃ち”などという大袈裟なネーミングがマカロニウエスタンの公開当時よく宣伝されていたが、それも当時の映画宣伝の特徴としてみればその大袈裟さがまた楽しいものだ。

ドクとスレードは協力して勝利を得たが、乱戦の巻き添えを食って、女手ひとつで牧場をやりくりしている未亡人ノーマ(グロリア・ミランド)の息子ボブ(ロリス・ルッディ)が重傷を負った。時は一刻を争うが、隣町にしか医者はいない。スレードから見破られることを覚悟でドクは告白する。「俺は元、医者だったんだ。」手術は成功しボブは命を取り留めた。もはや、保安官がお尋ね者ドクであることは明白だ。スレードとの対決を予感して苦悩するドクに向かい、スレードは「あばよ、ラリー・キチナー」と言い残して旅立っていくのだった。遺恨や怨念とは無縁のこのさわやかな幕切れもアメリカ的。米国の西部劇を意識しながら作られた、初期のマカロニウエスタンの快作として印象にのこる1本だ。