「殺しが静かにやって来る(68)」

IL GRANDE SILENZIO(伊)「偉大なる静寂」、THE GREAT SILENCE(英)「偉大なる静寂」劇場公開作品

カテゴリー( french acter)

監督セルジオ・コルブッチ、脚本ビットリアーノ・ペトリッチ、撮影アレッサンドロ・ウロア、音楽エンニオ・モリコーネ、出演ジャン・ルイ・トライティニアン、クラウス・キンスキー、フランク・ウォルフ、ボネッタ・マギー、ルイジ・ピステーリ、マリオ・ブレガ、スパルタコ・コンバルシ、ラフ・バルダサーレ

「続・荒野の用心棒(66)」の壮絶さに匹敵する重さをもった作品はやはり、コルブッチ自らが生み出すことになった。好き嫌いは別にしてこのラストシーンは、どんな人が観たとしてもしばらくは、忘れることが難しいであろう。それほど強烈な印象を持った作品である。それに加えて、冒頭の大雪原のシーンと静かに降り積もる雪のように心に染み込んでくるモリコーネの音楽。映画のどこから切り込んでも凡庸なところがない大傑作である。

物語は、殺し屋サイレンス(ジャン・ルイ・トライティニアン)が雪の降りしきる西部の小さな町スノウヒルにやってきたところから始まる。殺し屋といっても他のマカロニウエスタンで描かれる賞金稼ぎとは訳が違う。ここ、スノウヒルの町では 悪徳判事ポリカット(ルイジ・ピステーリ)が村人に無実の罪を着せ、たくさんのお尋ね者をでっち上げている。それを狙って集まって来る賞金稼ぎ達の上前をはねるのが目的なのだ。サイレンスは、無実の罪で賞金稼ぎに殺された村人の仇を討つ、つまり殺し屋を専門に狙う殺し屋である。サイレンス自身も幼いころ、当時賞金稼ぎだったポリカットから両親を殺された上に自らも声帯を切り裂かれたという惨い過去をもっている。まず、この設定そのものが斬新だ。お尋ね者が弱者で、他のマカロニウエスタンでは主役を独占していた賞金稼ぎが、悪の存在として描かれている。これまでと逆転した設定は悪の側が形の上は法にのっとって動いているという、この物語の重要なキーポイントになっている。

更に、もの言わぬ主人公サイレンスの個性が出色だ。一切の台詞がないためにサイレンスの決意・悲しみを、観る者はその目の動きのみで想像していかなければならない。老婆から息子の仇を討ってくれるように頼まれ、眼をそむけながらも老婆の心を察してごくごく僅かに首を縦に振る仕草。返事をしないことをなじられたときに瞬間うかぶ、悲しみをたたえた表情。そして、事情を知り謝る相手にほんの僅か浮かべるほほ笑み。そうした、主人公への感情移入が強くなるほど衝撃のラストの悲劇性が一層強調されるのである。

山中で待ち伏せしていた賞金稼ぎ達を凄 まじい早撃ちで瞬時に倒したサイレンスはスノウヒルの町で、夫を殺されたポーリーン(ボネッタ・マッギー)から夫の仇の賞金稼ぎを殺してほしいと頼まれる。提示する額を支払えないポーリーンに対してサイレンスは、仇を討つことを承知する。ポーリーンの夫を殺した賞金稼ぎの名前をロコ(クラウス・キンスキー)という。マカロニウエスタンで多く悪役を演じて来たキンスキーだが、この役柄こそ彼のベスト。そして、このロコこそ、数あるマカロニウエスタンの中で最強・最凶の悪役である。映画の冒頭からロコの性格を描写する場面がいくつも表れる。お尋ね者の居場所を聞き出すために捕らえた男を雪の中を馬で引きずり回す。そして白状すると同時にズドンと撃ち殺す。追い詰めたお尋ね者に対して「おとなしく出てくれば命は助ける。」と宣言する。そのことを信じて手を挙げて出て来た相手をためらわずに射殺する。情けとか道義という言葉とは一切無縁の残虐で凶暴な男なのだ。

しかし、この程度の悪役はマカロニウ エスタンでは珍しくはない。ロコの本当の恐ろしさは、映画が進行するに従って徐々に明らかにされていく。まず、お尋ね者を仕留める度に殺した相手を細かくメモ帳に書き留めて行く性格である。残酷な殺しをやってのけた後で、かわいらしいメモ帳を取り出し、鉛筆をなめなめ喜々として記録をとっていく不気味さ。更に、駅馬車に死体を積み込む作業を行うときいやがる御者に対して、「すまねえな、手伝ってくれたら1杯おごるよ。」と声をかけるような気配りを端々で見せるのである。酒場でサイレンスが挑戦してきてもサイレンスの実力を知るロコは取り合おうとはしない。ここまで辛抱強く、冷静に周囲の状況を判断できる奴こそ本当に恐ろしいのだ。ロコの制止を聞かず、頭に血を昇らせたロコの仲間達はその場でサイレンスによって殺される。

しかし、サイレンスも激しい撃ち合いの結果、肩を負傷してしまう。自分が相手に必ず勝てるという状況を見極めてから行動するのがロコだ。その場でサイレンスと対決するようなことはしない。彼の悪行を知り、逮捕するチャンスを伺っていた新任の保安官ギデオン(フランク・ウォルフ)を騙し討ちで殺すと、賞金稼ぎ仲間を集めて、食料を求めて山から降りて来たお尋ね者達を一網打尽にした上、サイレンスに挑戦状をたたきつけるのだ。ここの、他の賞金稼ぎ達とロコの関係も面白い。他のマカロニウエスタンでは、ボスと子分という形が成り立っているのが普通だが、ここでのロコは、他の賞金稼ぎと仲間という立場を自ら貫いている。それでいて、重い腰を上げようとしなかった連中をいつのまにか自分の意のままに動かしているのである。ロコ恐るべし。

負傷中をポリカットの一味に襲われ、その対決で右手が完全に使えなくなったサイレンスだったが、ロコの挑戦は受けなくてはならない。死を覚悟したサイレンスは、左手で愛銃のモーゼルを取り、決戦の場に赴くのだ。いよいよラストの対決。この絶体絶命の危機の中でサイレンスはどのような逆転劇を見せてくれるのかと期待を込めて見守る観客と主人公を監督コ ルブッチは、実に見事に冷たく突き放す。対決の場に一歩一歩、歩みを進めるサイレンスに対して、待ち伏せしていた賞金稼ぎのひとり(マカロニ常連のラフ・バルダサーレ)が、全く唐突に銃弾を浴びせるのだ。しかも、唯一使える左手を狙って。左手を打ち抜かれてうずくまるサイレンス。酒場のテーブルでトランプを扱いながら、状況をしっかりと見極めていたロコは絶対に勝てるという確信が持てたこの時点で初めてサイレンスの前に立つ。

両手を血に染めて雪の上に膝を着くサイレンスと、ただひたすら、あの動物的とも言える大きな眼をカッと見開き自信溢れる表情でサイレンスの方を静かに見つめるロコ。一方のサイレンスも憎悪と悔しさに満ちた瞳をロコにじっと向けひたすら凄まじい視殺戦が展開される。一言の台詞もない、展開の中で、観客はその間に交わされる様々な言葉を自分の心の内に 聞くことができる。もはやサイレンスの敗北は決定的である。最後の力を振り絞って動かぬ両手でモーゼルを構えようとするサイレンス。そこに、まず手下が腹に1発、そしておもむろにロコが止めの銃弾を頭に打ち込むのだ。観る者が、愕然とする中でコルブッチ監督は更に追い打ちをかける。サイレンスの身を案じて後を追って来たポーリーンも、数多くの人質達もロコ一味の手によって皆殺しにされるラスト。無数の死体を冷ややかに見つめながら雪の中を静かに去っていくロコの姿に、ハープシコードを効果的に使ったあの音楽が静かに重なっていく。

ひとかけらの希望すら残さぬ完璧な幕切れは、観る者を暗澹たる気分に落とし込む。しかし、ロコやサイレンスの姿は、どのマカロニウエスタン作品よりも深く心に刻まれることになるのだ。他の映画作者にはここまで、正義をつきはなす作品は絶対できないことであろう。コルブッチだからこそ作り得た滅びの美しさがこの映 画の中には満ちている。ちなみに、この作品には上映する国の事情に応じて、ギデオン保安官が生きていたという設定で別バージョンのラストも準備されている。左手をカバーする秘密兵器を身に着けたサイレンスが早撃ちで悪党どもを倒すラストは、それなりに、痛快なマカロニウエスタンと見なすことはできるだろう。しかし、物言わぬ主人公、すべての音を吸収してしまうような大雪原、そして強烈な悪のキャラクターロコ、という要素が盛り込まれたこの作品には、やはり壮絶で悲壮なラストがふさわしい。マカロニウエスタンを語るとき、本作は絶対に欠かすことはできない。