「盲目ガンマン(71)」

BLINDMAN(伊)「盲目の男」、BLINDMAN(英)「盲目の男」、劇場公開作品、TV公開題名「美女50人とさすらいの用心棒」

カテゴリー(Tony Anthony)

監督フェルディナンド・ベルディ、脚本ビンセンソ・セラミ、トニー・アンソニー、撮影リカルド・パロティーニ、音楽ステルビオ・チプリアーニ、出演トニー・アンソニー、リンゴ・スター、ロイド・バティスタ、マグダ・コノプカ、ラフ・バルダサール、イザベラ・サボーナ

何とも言えずねちっこい。くせのある作品だ。壮絶さ、執念、音楽といったマカロニウエスタンの持つすべての要素を含み、更にそれにエロスを加えてパワーを増幅した感がある。そのため、マカロニウエスタンをアメリカ製の西部劇のイミテーションとしてとらえ、アメリカ製の作品に似た雰囲気を持った作品を評価する人には、この作品など全く愚劣な作品と映るだろう。しかし、マカロニウエスタンはアメリカ製の西部劇とは別の独自の世界があると考えるならば、その世界を最も明確な形で表現したのはこの作品ではないかと思われる。

この作品で主人公が追い続けるのは、黄金や 宿敵ではない。彼が追うのは「女」、しかも、個人を追うのではなく、50人の女性の集団を追うのである。そのため、この映画で描かれる50人の若い女性の集団の1人1人に個性は与えられてはいない。言い換えれば、他のマカロニウエスタンで主人公や悪党が追い求める欲望の対象としての黄金や札束と同じものとして扱われているのである。このことがマカロニウエスタン独特の「赤裸々な人間の欲望」を描く上で、黄金や札束を追う展開よりも効果的だったことは否定できない。登場する悪党どもがまさしく凶暴な野獣に見えてくるのだ。また、主人公の盲目の男がこの女性達を追うのは、彼女達を本来の嫁ぎ先である炭鉱町へ送り届けるという任務遂行のためである。登場人物すべてが本能のままに行動する野獣のように見えてしまう映画だが、主人公の目的意識は意外とストイックなのだ。

彼女達を護衛する役を引き受けながら、ドミンゴ(ロイド・バティスタ)率いる強盗団に連れ去られてしまった盲目の男(トニー・アンソニー)は、愛馬ボスと共に強盗団の後を追う。この映画でまずうならされるのは開幕のこのシーン。さんさんと輝く陽光の中を、あるいは沈む夕陽を浴びながら、馬と一緒に旅をする。その姿にステルビオ・チプリアーニ作曲のあのテーマが重なる。この場面だけでも繰り返して見る価値がある。

強盗団は、さらった女性達をメキシコの軍隊に売り付けるが、金を払った後で兵隊達はマシンガンで皆殺し。と、このあたりまでは定石通りなのだが、マカロニ西部劇の中では、やられ役と決まっているメキシコ軍の大佐(ラフ・バルサーレ)が思いがけない活躍を見せるところが意外。盲目の男は、ボスの弟であるキャンディ(なんとビートルズのリンゴ・スター)を人質に取り、女性達の奪回に成功したと見えたが、彼が盲目である点をつかれて逆に捕らえられる。このリンチの描き方も他のマカロニウエスタンにはないほどねちっこい。徹底的に痛め付けられた主人公だが、メキシコ軍の大佐と組んで根性で脱出する。

女性達の奪回のため文字通り、すべてを賭けて強盗団に挑むこれからのアクションが、また実に素晴らしい。盲目であるが故に闇を利用し、敵の背後に常に密着する。手にするは、杖を兼ねるライフル1丁。小柄な体を精いっぱい動かしながら走る、走る、跳ぶ、隠れる。眼病の末期という設定の「ミネソタ無頼(64)」とは異なり、最初から全盲という設定の主人公は自らのハンディを逆に生かした戦い方を心得ている。武器として使えるものはシャベルから下着まで何でも利用する根性と目的遂行への執念、まさにマカロニ魂の爆発だ。そのエネルギーが全開で発揮されたのがドミンゴの妹にあたる、ドロシー(マグダ・コノプカ)との格闘シーン。相手は、売春宿の元締めを務める女豹を思わせる精悍な女山賊。女だからと手加減はしない。というより手加減しようものならヒーローが食われてしまう。全力での格闘の結果、主人公は股間に嚙みつかれながらも、必殺の三角締めでドロシーの息の根を止める。騎士道精神に溢れた懐かしきハリウッド西部劇の主人公達に想像もできないリアリティ溢れる荒っぽい展開。しかし、この全力を尽くす戦いこそマカロニウエスタンの本質といってよい。

ラストも大佐によって両眼をつぶされたドミンゴの口にダイナマイトを押し込んで爆発させる非情さ。やっと、目的を果たしたと思いきや、大佐がちゃっかり裏切って再び女性達をさらっていってしまう。再・再度愛馬にまたがりその後を追うシーンで映画は終わる。正真正銘目的遂行への執念を描き切った生粋のマカロニウエスタン。ハリウッドの西部劇が避けて通っていたマカロニのマカロニたる部分を濃縮して我々の前に叩きつけた生命力溢れる佳作だ。