「さすらいのガンマン(66)」

NAVAJO JOE(伊)「ナバホ・ジョー」、NAVAJO JOE(英)「ナバホ・ジョー」劇場公開作品

カテゴリー( Hollywood actor)

監督セルジオ・コルブッチ、脚本ディーン・クレイグ、フェルナンド・ディ・レオ、ウーゴ・ピロ、撮影シルバーノ・イッポリティ、音楽エンニオ・モリコーネ、出演バート・レイノルズ、アルド・サムブレル、ニコレッタ・マキアベリ、フェルナンド・レイ、タニア・ロパート、ピーター・クロス、クリス・ヒュエルタ、アントニオ・インベラート

だれでも思いつくような単純な邦題、そしてポスターなどの広告からは特に特徴のない凡庸なマカロニウエスタン作品のような印象を受ける。しかし、本作品こそマカロニウエスタンのベスト5の中に欠かしてはならない傑作だ。

本作品の最大のポイントはヒーローの素晴らしさにある。当時はまだ無名の存在だった米国のバート・レイノルズ演じるナバホ・ジョーというインディアンの主人公。後にはシャレた口ひげをはやし、とぼけた独特の味を出すようになったレイノルズだが、この映画の中で見せるアクションは素晴らしかった。復讐という唯一の目的のため、文字どおり宙を舞い、地を駆け、闇に潜みながら宿命の敵を追い詰めていく。他のマカロニウエスタン作品では、よく“大回転ワゴン撃ち”だの“回転レシーブ殺法”だの“ファントマ撃 ち”だの大袈裟な命名をされたガンプレイが宣伝されているが、この映画でレイノルズが見せる動きはそれらのガンアクションを凌駕するものであった。

たとえば、3人のならず者から襲われた馬車を助けるシーンで、ジョーは、疾走させる馬から飛び降りざま地上を回転して体勢を立て直すと、ライフルの連射で2人の敵を倒す。そのまま馬車の上に駆け上がり、その位置から馬上の敵に襲い掛かりナイフでとどめをさすという具合である。この間わずか数秒、じっとしていてピストルの抜き撃ちだけを見せるアクションとは質が違うのだ。

そして、もうひとり、注目されるべき悪役がアンドレ・サムブレル演じる野盗の頭目ダンカンの存在。「殺しが静かにやって来る(68)」のロコの冷静さとは対極に立つ激情型の男である。自らに激しいコンプレックスを持ち、一度切れると何をやっているかわからないほど狂う危険な奴。そんな、悪役をサムブレルは見事に演じた。もともと「夕陽のガンマン(65)」などの作品で、手下の役を多く演じていたサムブレルだが、彼はこの役がベストといえるはまり役。一旦頭のたががはずれると、乳飲み子さえ撃ち殺す狂気の男、映画の開幕から、そんなダンカンの異常さを示す場面が映し出される。平和な暮らしをしているインデ ィアンの村に何げない顔をして乗り込んだ野盗の群が、大虐殺を始める。そこで、インディアンの頭の皮を剥いで、商品として売りさばくためである。喜々として人の頭の皮を剥ぐ頭目ダンカン。そのシーンから観客はダンカンに対する嫌悪感を抱くと同時に、これからの壮絶な戦いを予測するのである。

戦利品として大量の頭の皮を鞍に結び付け、川を渡って引き上げるダンカン一味。その姿に重なってエンニオ・モリコーネの音楽が高らかに響き渡る。例にもれずこの音楽も素晴らしい。インディアンの恨みをこめたかのような雄叫びと絶叫が重なりそれがいつの間にかハーモニーを生み出しながらメインの旋律のイントロとなっていく。これまで聞くことのできなかった不思議だが、勇壮なテーマ音楽。これこ そモリコーネにしかできない曲といって良いだろう。

しかし、ダンカン一味の後をつかず離れずの距離を保ちながら、ずっとつけて来るインディアンの姿があった。何人も手下を差し向けながらもその度に返り討ちに会ってしまう。殺された手下の死体の側には、必ず3角形を2つ重ねた模様が血で描かれていた。そのインディアンこそ、妻の頭の皮を剥がれ、部族を皆殺しにされて復讐の鬼と化したナバホ族のジョー(バート・レイノルズ)であった。列車強盗によって大金を手に入れたダンカン一味の寝込みを襲うジョー、ネコのようにしなやかに列車から列車に飛び移り、見張りを倒していく。しかし、金を取り戻して町に戻って来たジョーに対して町の人々は冷たい。インディアンとの混血の娘エステラ(ニコレッタ・マキアベリ)の願いを聞き入れてダンカン一味から町を守るためにひとりで戦うことになるジョー。

しかし、ダンカンの報復を恐れ、だれも手助けする者はいない。ジョーがインディアンであることにこだわる町民に対してここでジョーが言う台詞が素晴らしかった。「俺のおやじはあの山で産まれた、そのおやじも、そのまたおやじもだ、本当のアメリカ人は俺だ。」町の教会の屋根で一人待ち受けるジョー。町民はみな家の中へ引きこもって静まり返った町の中に蹄の音を響かせてダンカンの一味が姿を現す。再び重なるモリコーネのメロディ。圧倒的不利の中で、コルブッチ独特の戦う主人公の悲愴感が最高潮に高まる瞬間だ。屋根の上からの狙い撃ち。不意を突 かれたダンカンの一味は大混乱に陥る。しかし、徐々に態勢を整えたダンカンはエステラを人質に取ってジョーを屋根から引きずり降ろす。

狂気を秘めたダンカンの恐るべきリンチ。逆さ吊りのまま町の広場にさらしものとなったジョーだったが、唯一彼に恩義を感じていた旅芸人の老人によって救い出される。半死半生ながらジョーは、追っ手の馬を逃がし、ダンカンが奪った金をさらって逃走する。怒り狂い機関車に乗ってジョーの後を追うダンカン一味。ジョーは走る走る走る、崖を飛び降り、坂を転がり落ちながら死に物狂いで駆け抜ける。アクション俳優としてのレイノルズの面目躍如である。

自分の生まれた土地へ一味を誘い込んだジョーは、ここでピタリと息を潜め、ダンカンの手下をひとりずつ血祭りに上げて行く。ジョーの復讐もダンカン一味の冷酷さに報いる激しいものだった。動けなくなった敵の額に3角形を2つ重ねた模様をナイフで刻み付け、石で殴り殺す。息もつかせぬ、血で血を洗う死闘が岩山を舞台に展開する。宿敵ダンカンとの最後の激闘。ここで三角形を重ねた模様はジョーの妻が身につけていた首飾りを表していたことが明らかになる。弾が尽きたジョー は武器のトマホークを取るためダンカンに背を向ける。そのすきを狙ってダンカンの隠し持った拳銃が火を吐いた。何発もの銃弾を打ち込まれてよろめくジョー。しかし、かれの執念は飛びつきながらトマホークを引き抜きダンカンの脳天へ1撃をぶち込む。真っ赤に染まった夕陽を浴びて静かに佇むジョーの姿。

ジョーのことを顧みようともしない町民の手を逃れて、ジョーの元へ駆けていく愛馬の姿を映し出して映画は静かに終わる。残酷で血みどろの場面と激しい動きが続いた後に来るこの静けさ。余韻を残すラストである。「殺しが静かにやって来る(68)」と同じく、すべてを賭けて戦う男の執念と孤独を壮絶に描き切った本作はマカロニウエスタンの本質を具現化した傑作だ。