「夕陽のギャングたち(70)」

GIU LA TESTA(伊)「伏せろ、ばか」、A FISTFUL OF DYNAMITE(英)「一握りのダイナマイト」劇場公開作品

カテゴリー( Hollywood actor)

監督セルジオ・レオーネ、脚本ルチアーノ・ビンツェンツォーニ、セルジオ・ドナティ、セルジオ・レオーネ、撮影ジュゼッペ・ルツォリーニ、音楽エンニオ・モリコーネ、出演ロッド・スタイガー、ジェームス・コバーン、ロモロ・バリ、マリア・モンティ、リック・バタグリア

権力と民衆の対立という構造。銃弾乱れ飛ぶ時代背景。これらがアクションを生み出すためにうってつけの舞台となり、マカロニウエスタンの中でもメキシコ革命を題材として取り上げた作品は傑作が多い。しかし、それらの傑作が続々と登場する理由は、ただアクションの場としてメキシコ革命が似合っていたというだけではない。正義と悪を単純に割りきれないという史実の持つ重みが物語に人間関係の深みを与える からだ。

単純明快で理屈抜きの爽快なアクションだけがマカロニウエスタンの魅力ではない。メキシコ革命ものに顕著なように、信念に殉ずる男達の姿を通して描かれる戦いの空しさに、マカロニウエスタンのもうひとつの魅力が隠されているのである。アクションの中に「人間」を描いたメキシコ革命劇の双璧が「群盗荒野を裂く(66)」とこの「夕陽のギャングたち」である。

「続・夕陽のガンマン(66)」あたりからレオーネはマカロニウエスタンの中に主張を盛り込み始めた。それが、気取って勿体ぶった演出として鼻につくことが無きにしもあらずだが、やはり観る者の心にずしりと響いてくるのは間違いない。主演のロッド・スタイガーとジェームス・コバーンの2人もレオーネの演出だからこそ海を渡ったのである。そして、この映画もストーリー展開の面白さ もさることながら、俳優の演技そのものが大きな魅力だ。

大勢の子持ちで、父親を加えた一家で盗賊稼業を営むファン(ロッド・スタイガー)。彼は、強盗という手段を通して、自分達の生活を守り、家族を養っている。その汚れた身なりと粗野な仕草はブルジョアから見れば不快なものでしかない。映画の開幕、ファンが金持ち達の乗った馬車を襲う場面でこの映画の主張が真っ向から描かれる。やや説教臭さを感じる開幕を経て、ジョン(ジェームス・コバーン)が登場してからは、2人の友情を中心に痛快なアクションが連続する。

ジョンはアイルランドの革命家で爆破のプロ。たまたまメキシコにやって来た彼と出会ったファンは、彼を利用して長年の夢であったメサベルデの銀行襲撃を企てる。ジョンとメキシコの革命家達の助けを得て銀行襲撃に成功したファンだったが、銀行は政治犯達の収容所として使われていたのだった。己の意志に反して政治犯の解放という大仕事をやってのけたファンは革命の英雄に祭り上げられる。ファンはジョンを利用するつもりが実はジョンの手の内にあったのである。ジョンの中にさえ、ファンを無知な山賊として蔑む気持ちがあったのであろう。しかし、そんなジョンに向かってファンは叫ぶ。「本を読むやつが、読まないやつに言う。『さあ改革のときが来た。』と。しかし、彼らが食事をしているときに死んでいくのは本を読まないやつらだ。」この言葉を聞いて、本を道端に捨てるジョン。

これから、ジョンのファンに対する態度が少しずつ変化し始める。追っ手を待ち伏せして、機関銃とダイナマイトで決定的な打撃を敵に与えた2人だったが、その間に革命軍の隠れ家が襲われファンの家族は皆殺し。我を忘れて飛び出したファンもあえな く捕らえられ処刑されることになる。いよいよ処刑という寸前にジョンは決死の突入で彼を救い出す。こうしてファンとジョンのコンビの革命行脚は続くのである。全編がひとつの物語として統一されているというよりも。ファンとジョンが活躍するいくつかのエピソードが交互に語られていくという印象を受ける。

名優ロッド・スタイガーによって生き生きと演じられるファンは粗野で無教養な乱暴者だが、純粋で無邪気だ。メサベルデの町にやって来て、はしゃぐ姿や家族を皆殺しにされて悲しみに打ちひしが れた姿を見せられるうちに観る者もこの髭面のおやじのことがいつのまにか好きにな っているのだ。そして相棒のジョンもまた、観客と同じくいつの間にかファンにひかれ、彼と真の友情で結ばれていく。

前半がファン中心のエピソードならば後半の主役はジョンだ。純粋なファンに比べてジョンは様々な経験を重ねて物事の裏まで見通すことができるようになっている。親友の裏切りを知り自らの手で葬った過去を持つ彼は人を心から信じることができない。最後のエピソードも仲間として信頼していたドクターの裏切りを知ったジョンの心の葛藤がテーマである。再び仲間を自らの手で裁かなけばならないジョンは自らもその戦いで命を落とす。しかし、その死の最後の最後までジョンが信じることのできた親友は、山賊のファンであったのだ。

自ら体に巻いたダイナマイトに点火するときにジョンがうかべる安心しきった笑顔。そして、ジョンの爆死を知り、またも最愛の友をうしなって途方に暮れるファンの表情。これら心に深くのこるシーンの数々はレオーネの演出だけではなく、この2人の個性的な俳優の実力によって初めて生み出されることができたのである。