「ウエスタン(68)」

C’ERA UNA VOLTA IL WEST(伊)「むかしむかし、ある西部で…」、ONCE UPON A TIME IN THE WEST(英)「むかしむかし、ある西部で…」劇場公開作品

カテゴリー( Hollywood actor)

監督セルジオ・レオーネ、脚本セルジオ・レオーネ、セルジオ・ドナティ、撮影トニーノ・デリ・コリ、音楽エンニオ・モリコーネ、出演チャールズ・ブロンソン、クラウディア・カルディナーレ、ヘンリー・フォンダ、ジェースン・ロバーツ、ガブリエル・フェルゼッティ

イーストウッドと組んだマカロニ3部作の後レオーネの作品はアメリカへの指向が強くなり、少し勿体ぶった傾向が見られるようになっていった。「続・夕陽のガンマン(66)」のころからこの傾向は見られていたが、この「ウエスタン」も純粋なマカロニファンが望むような、低予算の中でもアイデアと作者の執念を盛り込んで迫力を生み出すという作風とは質を異とする。

確かにハリウッドからチャールズ・ブロンソン、ヘンリー・フォンダ、ジェースン・ロバーツという名優を招き、クラウディア・カルディナーレと共演させた話題作であり、他作品にはない重厚さは感じられる。しかし、その反面あまりに長すぎる間や必ずしも必要とは思えない場面の繰り返しにいささか辟易させられるのも事実である。ただし、長すぎる展開の余剰な部分には目をつぶって、ひとつひとつの画面、そして全体を包む雰囲気に目を向けるとそこには紛れもないマカロニウエスタンの世界が広がっている。

まず、開幕が素晴らしい。鉄道の駅に人を待つ3人の男、殺気をみなぎらせたこの男たちが待つ相手の命をねらっていることは確かだ。あるものは椅子に腰掛けて、あるものは給水塔の下で静かに待つ、そして待つ。やや長すぎると感じるもののやはり、この間はたまらない。静けさの中に風車の回る音、撃鉄を起こす音だけが響く。やがてお目当ての汽車が通り過ぎると同時に静かに聞こえてくるハーモニカの音色。いつもハーモニカを離さない謎の男(チャールズ・ブロンソン)が登場するシーンである。「俺の馬はどうした?」「おや、1頭足りねえなあ」「いや・・・2頭余る」2言・3言のやりとりの後、轟然と拳銃が火を吐いて3人の男は撃ち倒される。ここで姿を消す男たちもウッディ・ストロード、ジャック・エラムなど、うれしくなる顔触れである。ちなみに、ジャック・エラムはアメリカの西部劇「地平線から来た男」のラストシーンで「俺はイタリアへ渡ってマカロニウエスタンに出るぞ」と宣言して画面から消えていったが、この言葉を実践したことになるわけだ。

静から動へ、全編このリズムを保ちながら画面は変化していく。鉄道開発に大いなる夢を抱くマクベイン(フランク・ウォルフ)に嫁ぐためニュー・オーリンズからやって来たジル(クラウディア・カルディナーレ)は、到着と同時に夫の葬儀に出席しなければならなくなった。土地の権利をねらう鉄道技師モートン(ガブリエル・フェルゼッティ)と彼から雇われた殺し屋フランク(ヘンリー・フォンダ)の手によってマクベインの一家は皆殺しにされていたのである。何もわからないまま、亡き夫の土地を1人で守らなければならなくなったジルを影のように2人の男が支えることになっていく。1人はハーモニカをふく謎の男、もう1人はマクベイン一家殺しの濡れ衣を着せられた、ならず者の首領シャイアン(ジェースン・ロバーツ)である。土地の権利をめぐる争いの中でしたたかに生き抜くジルのたくましさとともに、ジルに対するシャイアンの渋い愛情の注ぎ方などはなかなかぐっとくるものがある。

しかし、こうした長所はマカロニウエスタンの本質とは異質なもの。この作品を立派にマカロニウエスタンとして成立させているのは謎の男とフランクの間の復讐劇である。何と言っても、マカロニ初出演のフォンダがすごい。ジョン・フォード監督の多くの名作に主演し、米国の代表的俳優の1人である、あのヘンリー・フォンダが平気で子供を射殺するわ、足の悪いモートンの松葉杖をけり飛ばすわ、非道の行いを平然とやってのける。自分はハリウッドの大物だなどという気取りはかけらもない。その恐ろしさは、他のマカロニの悪役群インディオやロコやダンカンをも凌駕するものだ。しかも、その悪行のそれぞれが泥臭くなくスマートなところも格好良い。

謎の男とシャイアンの妨害によって、競売にかけられたジルの土地を手に入れることに失敗したモートンとフランクはそれぞれの思いから次第に対立を深め、終にモートンが手下を使ってフランクを殺しにかかる。ここはフランクの見せ場だ。待ち伏せて襲い掛かる手下たちを次々と早撃ちで倒すフランク。しかし、ここで不思議なことが起こる。謎の男がフランクに手を貸すのである。いぶかしがるフランクとジル。謎の男は自らの復讐のためにそこでフランクに死なれるわけにはいかなかったのだ。

すべてを失い、謎の男との対決に望むフランク。ブロンソンとフォンダという両雄の決闘シーンはマカロニウエスタンに限らず、数多い西部劇の対決の中でも指折りの迫力と格好よさを見せてくれる。モリコーネによる「復讐のバラード」が対決ムードをいやが上にも高める中、ゆっくりと歩みを進めるフォンダに対して無造作に距離を縮めるブロンソン。2人は拳銃の対決としては、限界と思われるほどの至近距離に立つ。ここで再びハーモニカの音色と重なりながら、それまではぼんやりとしたフラッシュ映像でしか見せていなかった過去の出来事がはっきりと画面に映し出されていく。

ここで映し出される「家族の命が、か弱い肉親の手にゆだねられている」というショッキングなシチエーションは、その後構図を変えながら多くの映画によく登場するようになった。決闘の結果うんぬんよりも、この決闘の雰囲気を大いに楽しみたいものだ。全編を通して、気取り過ぎという印象はぬぐえないが、さすがレオーネとうならされる絶品である。