「花と夕陽とライフルと…風来坊(70)」

LO CHIAMAVANO TRINITA(伊)「トリニティという男」、THEY CALL ME TRINITY(英)「トリニティという男」劇場公開作品

カテゴリー(Terence  Hill)

監督E・B・クルッチャー、脚本E・B・クルッチャー、撮影アルド・ジョルダーニ、音楽フランコ・ミカリジィ、出演テレンス・ヒル、バッド・スペンサー、ファーリー・グレンジャー、ステファン・ザカリアス、ジェシカ・ダブリン

テレンス・ヒルが彼の個性を開花させた作品。テレンス・ヒル個人のみならず、この作品の登場が、その後のマカロニウエスタンの方向性を大きく変化させた、マカロニウエスタンの歴史を振り返るうえで大変重要な作品である。それほど、この作品は本国イタリアでヒットし、多くの人々に受け入れられた。

その大きな理由は、まず豊富なギャグ。のらりくらりと暮らす弟のトリニティに兄のバンピーノが「お前もぐうたらしてないで少しは真っ当な仕事を始めたらどうなんだ。馬泥棒とか銀行強盗とかイカサマとか何かあるだろう。」と説教したり、物語の途中でトリニティを狙ってきた殺し屋が、勧められた酒を「今は勤務時間中ですので。」と断ったり、弱いものいじめや下品な笑いではなく、明るい楽しさがつまっている。

そしてもう1つは楽しいギャグと爽快なアクションの裏に隠されたほのぼのとした優しさである。主人公トリニティ(テレンス・ヒル)は悪魔の右手とあだ名されるほどの無類の早撃ち。しかし、本編では、彼の拳銃は、ほとんど人に向けて発射されない。悪い奴はその早撃ちの腕前を披露して脅しあげるか、ぶん殴って懲らしめるのみである。物語そのものも、土地を耕して農業を営もうとするモルモン教徒と、彼らを追い出して牧草地としたい少佐(ファーリー・グレンジャー)一味の争いに巻き込まれた主人公が、弱い立場であるモルモン教徒側に味方して少佐の一味を追い払うという「シェーン」のパターンにのっとったもの。トリニティの兄である悪魔の左手バンピーノ(バッド・スペンサー)が、トリニティの手綱の引き締め役に徹しているのに比べ、トリニティはもっぱらやりたい放題。そんな展開の随所に主人公の優しさが見え隠れしているのがうれしい。開幕、些細な罪で賞金稼ぎに捕らえられた農夫を助ける場面、雑貨屋からたたき出された農夫のために店に入っていく場面、そして無抵抗主義のモルモン教徒達にけんかの楽しさ(?)を教えていく場面等。それらが、人助けを強調するのではなく、ただ自分が暴れたいから、あるいはモルモン教徒の女の子に惹かれたからという表面的な理由をつけながら淡々と実行されているところがなおさら格好良い。

ラストの対決に至っては、集団対集団での、のんびりしたけんか大会。西部劇によく登場する酒場の殴り合いのフィールドを広々とした野原に移し、さらに爽快感を増したものだ。のんびりした牧歌的な音楽を背景に繰り広げられるほのぼのとした戦いには、これまでのマカロニウエスタンの主人公達が背負っていた業のようなものは微塵も感じられない。悪役の少佐にしても極悪非道なやつではなく、馬に良い草を食べさせてやりたいという牧場主にすぎない。モルモン教徒とのけんかにやられても、軽く会釈をして負けを認めるスマートさも見せる。自由の中で己のやりたいままのびのびと生きる主人公は、農民達の土地を守ってやると再び荒野の彼方に向かって1人旅立っていくのである。

マカロニウエスタンから壮烈さ、執念というシビアな魅力を取り除くとそこに残るものは「優しさ」。それにユーモアで味付けをし直した後期マカロニウエスタンの1典型がこの「風来坊」だ。この作品のヒットはその後いくつかのトリニティシリーズを生み、マカロニウエスタンもこのトリニティを模倣した穴あき下着をコスチュームとした亜 流ガンマンが数多く登場することになるのである。