マカロニウェスタン大全 「荒野の用心棒」 1964

2021-04-22

PER UN PUGNO DI DOLLARI(伊)「一握りのドルのために」、 FOR A FISTFUL OF DOLLARS(英)「一握りのドルのために」劇場公開作品

カテゴリー(Clint Eastwood)

監督セルジオ・レオーネ、脚本ビクトール・アンドレス・カテナ、ジェームス・コマス、セルジオ・レオーネ、撮影マッシモ・ダッラマーノ、音楽エンニオ・モリコーネ、主演クリント・イーストウッド、ジャン・マリア・ボロンテ、マリアンネ・コッホ、ホセ・カルボ、ウォルフガング・クルシー、ベニト・ステファネリ、マリオ・ブレガ、サイモン・ルーペ、アントニオ・プリエト

本作品については改めて解説するまでもあるまい。黒沢作品の「用心棒」を西部劇の世界へ置き換えて、仕事にあぶれていたクリント・イーストウッドをスターダムに乗せた作品というだけでなく、マカロニウエスタンというジャンルを確立したモニュメントとなる1本だ。「用心棒」をリメイクする権利を得ないまま本作が制作されたため、当然のことながら訴訟にまで発展したいわくつきの作品ではあるが。本作が大ヒットした理由は、血で血を洗うやくざの抗争物語を西部劇の世界へ移し替えた見事さにあった。単なる盗作レベルのつまらない作品では、その後のマカロニウエスタンという一大ジャンルも決して確立されることはなかっただろう。

ダイナマイトの爆発音と共に砂埃の中から現れた人影がやがて主人公の姿となり、ポンチョを翻しながら歩を進める。「用心棒」の三船敏郎の登場シーンとそっくりだが、エンニオ・モリコーネの音楽が、そこに被さることで「用心棒」を凌駕するカッコイイ場面を創り出してしまった。主人公の登場に呼応するように、ジャン・マリア・ボロンテ扮する宿敵ラモンの足元がアップになり、ラモンの全身像が映し出される。ゆとりたっぷりにライフルのレバーに指をかけたまま銃身を回転させて撃鉄を起こすラモン。この仕草がなんとも格好良かった。マカロニウエスタンが米西部劇から脱却して新しい魅力をもち得たのも、日本の時代劇をその基盤にもってきたからに外ならない。このシーンに限らず、本作品は画面のひとつひとつが見事な絵になっている。縛り首の木の下を馬に乗って通っていく有名なシーン、町に着くなり、主人公がラモンの所属するロホス兄弟と対立するバクスター家の4人を凄まじい早撃ちで葬り去るシーン、人質交換でラモンに捕らわれている薄幸の人妻マリソルが、我が子と束の間の抱擁をかわすシーンなど、音楽と絵のような構図の重なりがマカロニウエスタンの魅力であることをこの作品が最初に示して見せたのだ。

ストーリーは「用心棒」に忠実。ふらりと町にやってきた流れ者(クリント・イーストウッド)は、酒場の主人シルバニト(ホセ・カルボ)から、その町が、バクスター一家とロホス兄弟という二つの集団が対立する無法の町であることを知る。無法集団を焚きつけて金もうけを企てる流れ者は、バクスターの手下4人をあっという間に撃ち殺す腕前をみせて一旦は、ロホス兄弟の用心棒に居座る。しかし、ロホス兄弟一番の切れ者ラモン(ジャン・マリア・ボロンテ)が、メキシコ軍を皆殺しにして軍の金を奪った情報を、バクスター一家に流して、多額の報酬を巻き上げる。さらに、借金のかたとしてラモンの情婦となっていた人妻マリソル(マリアンネ・コッホ)を、バクスターの仕業と見せかけて救出する。対立する2つの無法集団の間を立ち回りながらあるときは金のため、そしてあるときは無法に踏みにじられる弱者を助けるため、知力と早撃ちの限りを尽くして活躍する流れ者だったが、マリソルを助けたことを、ラモンから見破られ、ロホス一味から激しいリンチを食らう。

こうした展開も「用心棒」と同じだが、主人公が1度は敵に捕らえられてリンチに会うことは、マカロニウエスタンの定石となった。このためマカロニウエスタンは残酷という目で見られるようになってしまったが、どんなにボロボロになっても最後まで主人公が戦う執念を持ち続けるということが、マカロニウエスタンの大きなテーマである。リンチによって主人公が半死半生になるということは、そのテーマを貫く意味から必要なことだったといえる。余裕をもちながら戦うマカロニウエスタンのヒーローが、その本質的な魅力を失っていくのは、後期の007的な活躍をするマカロニヒーローたちの姿から伺い知ることができる。

まさに、ボロボロになりながらも九死に一生を得た流れ者は廃鉱に身を隠し、つぶされた右腕の回復を待つ。ここで、有名なラストの対決につながる銃弾跳ね返しの鉄板を主人公は磨きあげるのである。鉄板で相手の弾丸を弾き返すというアイデアは誰でも考えつくことであるが、それまでの西部劇では絶対に描かれなかった。ここにもマカロニウエスタンが抱えるテーマ、勝つという目的のためにはあらゆる手段を使うという「勝利への執念」が凝縮されている。目的への執着、そして強者対強者のクライマックス対決とどれをとってもまさにマカロニウエスタンの本質を混じり気のない形で世に問うたという点から絶対に忘れてはならない作品である。